でかいカツカレーは頭痛が痛いと同義

よくわからないもの。例えばカツカレー。幼少期のぼくは、カツカレーという存在がよく分からなかった。昔からぼくは揚げ物が好きだ。特にコロッケ。もちろんカツも大好物だ。カレーライスも大好きだ。これから一生同じものを食べ続けなければならないとなったら、ぼくはカレーを選ぶと思う。しかしその好きなものふたつが一つになることで、ぼくの理解の範疇を超えてしまうのだ。カツが最高値。カレーも最高値。無量大数×無量大数のようなものだ。つまり贅沢さがカンストしてしまうのである。茶色と白の二色で構成された食べ物一皿で、人間一人の脳みそなんて簡単にバグってしまう。カツカレーという概念だけででかすぎる。本当に合法なのか疑ってしまう。普通に食べられるようにはなったが、そんなカツカレーが、未だにぼくはよくわからない。


よくわからないもの。例えば自分。高校の頃、一週間に一度は俳句を一句書いて提出しろという課題が出されていた。ぼくはほとんど出さなかった。いくら点数を引かれても、たまに出す句が爆弾だと言われても、ぼくは出さないことをやめなかった。そんなぼくが今こうして言葉を書いている。自分から。ぼくたちに課題を出していた教師は、今では酒を飲む仲だ。ぼくたちは戦いを終えたのだ。頑なに出そうとしないぼくと、センスのある生徒をどうにかして引っこ抜いて俳句甲子園に出そうとする国語教師。言葉という土俵の上で、ぼくたちは言葉のない戦いを続けていた。ぼくは結局、高校三年生で一度だけ俳句甲子園に出た。

ものを作るのは大好きだったが、やれと言われてやる創作が大嫌いだった。保育園や学童や学校の休み時間、みんなが外に出て遊ぶ中、ひとりで部屋で絵を描く時間が好きだった。美術の成績はよい方だったが、ぼくはどこかで美術の授業に怯えていた。そんな自分が、未だによくわからない。


金髪になるなんて思わなかった。煙草を吸うようになるなんて思わなかった。フリーターになるなんて思わなかった。こんなに不器用だなんて思わなかった。こんなに真っ当に生きようとするなんて思わなかった。


それでいて、毎日が楽しくて仕方がないのだ。人生なんて未だに難しくてよくわからないけれど、悩みながら一つずつ選択して続いていく生活が、いつか道になる日が来ると思うと、楽しみでたまらなくなる。ぼくにとって、人生とカツカレーのでかさは似ている。人生が合法なら、まあカツカレーだって合法なんだろうな。他人事のように思ってしまうぼくは、限りなく小さな存在だ。こんなに小さいのだから、独り占めしていていいよね。


ぼくたちは、いつだって草のないところを道と呼んできた。いつだって空を見上げていたいから、ぼくは初めて空を飛んだ人のようにはなれないだろうけど、地を這って道を作ることはできるかもしれない。

引越しひとつに何苦労もした。これから郵便局に行くのも億劫だし、大人になってもわからないことのほうが多くて途方に暮れてしまう。未だによくわからないことは、多分これからもよくわからないままだろう。それでもぼくは、短い命を精一杯に使おうとする。いつか夏が来ることを知っている。そういうことを不意に思う冬の日がぼくは好きなんだ。