ノンフィクション

外は撮影の準備で騒がしい。

まだシャッターの閉まった店の中で、僕はぴょんすこぴょんすこ踊っている。

 


誰も見ていないのをいいことに、仕事中にけっこう勝手なことをしている。お客さんがいればマスクの下で変顔をしてみたり、やがていなくなればそこそこの音量で歌を歌いながらクイックルワイパーをかけたりする。

 


職場の位置する商店街で映画の撮影があると聞いたのは、少し前のことだった。「なるべく邪魔にならないようにしますんで」と言われたので、気にも留めていなかった。

なんだか立ち止まっている人が多いな、と思い、向かいの店の前に大きなカメラが置いてあるのを見たとき、ああ、そうだった、と思った。

 


ちょっと○○持ってきて!誰もいないの!という声が響くのを聞きながら、もう思い出したくもない運動部のことをなぜか思い出して、少し頭が痛くなった。

思い出したくないと思っているから、ちょっとしたきっかけで思い出してしまうのだと思っていたが、どうやらそうではないようだ。

むしろ逆で、いつまで経ってもふいとしたことで思い出してしまうから、もう思い出したくないという思いがどんどん色濃くなっていくのだ。

自分とは関係がなくても、つらいものをつらいと思えることは、そんなに悪いことではないと思う。

 


店の前にマイクを持ってしゃがみ込む比較的若い男性に、ここちょっとラック出してもいいですか、すみません、と言いながら、どうして僕が謝らなくちゃいけないのだろうと思う。

謝らなくちゃいけない人なんてそう多くもないのに、僕たちは謝らなくてもいいようなことで謝ってばかりだ。むしろ、謝ることでお金をもらって飯を食っているように感じることも多い。

そのくせ本当に悪いことをしたときはなかなか謝れない。

 


何カットか撮っているようだ。よく通る声が何度も響く。その合間に、ちまちまとラックや什器を店の前に出して並べていく。カットが変わるたびに背景の店の店構えが変わっているのはどうなんだろう、と思う創作側の自分と、こっちも商売だ関係ないだろう、と思う店側の自分が、商店街という川の両岸で向かい合って立っていた。川はみるみる水位が上がり、今にも氾濫しそうであった。

「次の信号で止めまーす!」という声が聞こえれば、いそいそと店の奥へ引っ込む。商店街を通りたい住民たちはいったん動きを止められる。そうまでして撮りたいものは一体なんなのだろうと、純粋に疑問を持つ。

 


まず商店街の許可を得て、それからひとつひとつの店を回っては了承を得て、そうやってようやくひとつの映像を撮ろうとする彼らと、誰に許されたわけでもないが、隙を見てはマスクの下で変顔をする僕。ずるいのは圧倒的に僕のやっていることだが、これが何よりものリアルであって、ノンフィクションだ。

僕のノンフィクションが、商店街を通るひとりひとりのノンフィクションが、彼らの撮るフィクションを超える。そう僕は信じてやまない。だから表現をする。だから詩を書く。だから歌を歌う。自分で決めた台詞だけを喋る。僕の主人公は、まぎれもなく僕だ。

 


ようやく一通りの商品を出し終えた店の真ん中で、僕は仮面ライダーの変身ポーズをとって、店内の掃除を始めた。