【短歌44首】ひまわり

上に伸びなさいまっすぐ咲きなさい【ひまわりの学校の校訓】

 


口笛が吹ければ楽しかったかな 毎日同じ坂を登って

 


生きるのが不安になって試験中確かめ続けていた脈拍

 


知ったふうな顔で行き交う 自殺防止のポスターの右へ左へ

 


ぼくよりも先に生まれた十円玉5枚で返される50円

 


目を合わせぬままおつりを渡すとき触れる しまっておいた心が

 


降りきれば半蔵門線のホーム或いは海へ続く階段

 


地下鉄の風に吹かれて きみだけに教えた夢はあきらめてない

 


特売のパスタソースと東京の鎖骨のあたりで暮らしています

 


どこへでも行けるわたしだ一日を六畳一間の中で過ごせば

 


生きている以上は腐り続けてる コンビニのエクレアが食べたい

 


カレー屋のドレッシングのオレンジの希望 あなたがTシャツを着る

 


つゆだくを頼む 生きても答えなど見つからないと分かった上で

 


痛みにも色があること痛みとはたとえば色褪せたパチンコ屋

 


傘を差すのが下手なだけ悲しみを受け止めるのが上手かっただけ

 


街灯は真下を照らすどん底を確かに生きるぼくらのために

 


夜のプールに忍び込めない平成にかぷかぷ笑うぼくらの不安

 


戦った人はやさしいゆるゆるになってしまったカップラーメン

 


ホッカイロ歩道で凍てておりここは街で一番つめたい部分

 


欠点を見つけてくれる人がいてランドルト環のような僕たち

 


いつ泣いてしまうかわからないわたし 豆腐は小鉢に形を保つ

 


風船を膨らませては転がして肺のコピーをたくさん作る

 


生涯に受けたすべての愛情がおばあさんから手押し車へ

 


マンションになった空き地は空き地には戻れなかろう 覚えていよう

 

 

 

人類が滅びたあとも続くもの 祭り提灯の列が途切れる

 


サーモグラフィーなら熱かろう赤の現実だから切ない紅葉

 


片道切符を握りしめ人は人に会いに行くとき一通の手紙

 


トラックが過ぎれば跳ねるアスファルトいつか人間が壊す世界を

 


supremeほどの日給 流行をただ追いかける生き方もある

 


進むのも引き返すのもできるからいつも待ち合わせは池袋

 


殺したいことを黙って少年のいつか出る喉仏は光る

 


雪のない街に生まれてよく笑い雪がうれしいままで死にたい

 


算数の宿題やって早く寝て大人になったらギターを壊す

 


母親の自転車で追いかけていたみんなに未だ追い付けなくて

 


長針が短針を追い抜くときの鋭角にふと銀河が覗く

 


男の子でも同じ名前だったと言われそれから胸に棲む望くん

 


最初からのぞみはのぞみ髪切れば女の子やめたのかと聞かれ

 


東京のいかに寂しがりな街か 教室に都市のごと集えば

 


眉毛剃る瞬間本当の父がどこかにいることのおそろしさ

 


喉仏深く秘めたる口腔にたまごボーロは上手に溶ける

 


蝉時雨 死んでしまった人ばかり載る教科書を鞄に詰めて

 


戦争の後日談としてぼくたちは躑躅の蜜を吸って帰った

 


この角を曲がれば冬が終わること悟って明日この街を出る

 


まっすぐなものを信じる人がいて祈りのように冬の行列

【詩】とどめ

弱い貴方が好き

下手に触れればそこから崩れてしまうような

 


とても弱い貴方が好き

弱さは強みになりうるから

 


貴方は私には勝てない

この国ではそう決まっている

 


私は貴方が羨ましくて

毎晩キスをするのです

 


貴方だけに伝える術は幾らとあるのに

貴方以外に伝える術が思い当たりません

 


いつか貴方を殺す日が来る

私は貴方を心底羨みながら

貴方にとどめを刺すでしょう

 


貴方は私を心底恨んで

その命を閉じるでしょうか

 


そして私は国を滅ぼす

文明の、私利私欲の、誰かの故郷の

すべての朽ちた丘の上で

煙草を一本ふかす

 


私は貴方には敵わない

そう決まっている

星めぐり、ここは恒星

十八歳、初めて一人暮らしをするのに選んだ場所は、幼い時間を過ごした東京のはずれの街だった。

 

それから二年が経ち、僕は大好きなその街を出ていくことを決めた。

 


下のリンクが当時書いた文章である。この文章も、これを前置きとすると読みやすいかも。

https://hopeisnotyet.hatenablog.com/entry/2020/01/11/013931

 

さらにそこから一年が経ち、このごろの僕は、この三年間のことを思い返してばかりいる。

 


はじめはとにかく寂しくて、夜はことに酷かったので、遅くまで働いていないと気が持たなかった。東京のはずれから反対側のはずれまで通ったりしていたので、連日終電で帰ったり、間に合わなかったりした。

 


そうやって行ったり来たりするうちに、寂しさは擦れて丸くなっていった。決してなくなることはなかったけれど、抱えて歩きやすい形になったような気がして、そろそろ違う街に住んでみようかと考えるようになった。

 

そうして決めた二つ目の部屋は、期待が大きかった分、苦い思い出となって突き刺さることになる。

 


単刀直入に言ってしまえば、隣人が狂っていた。棚を組み立てれば壁を叩かれ、洗濯物を干せばベランダから怒鳴られた。怒鳴り声で乾かされた服に袖を通すたび、自分が小さく縮むような心地がした。

 

住めば都とはよく言われるが、それは設備や立地などの話だ。人間は、そう簡単に慣れることができない。そのぶん飽きることも忘れることも難しいけれど。

 


隣人と顔を合わせることもなく、歌い出すこともできないまま、僕はいそいそとハリボテのロケットに乗り込み、次の星へ移ることにした。

 

結局僕はこの一年で二回引越した。別れた人よりも出会った人のほうが多かった。でも初めに住んだあの街の、あの頃は独房と読んでいた、あの底冷えのする部屋が、一番好きだった。

 

大切な人には、あのとき既に出会っていた。これから大切になる人も、既に出会っている気がする。

 

僕は僕の身に起こったことしか書くことができない。だからいろんな街を歩いて、いろんなものを見なければならない。ここらで全く知らない街に住んでみるのも悪くないかもしれないと思い始めた。

 


でもまだもう少し、この街にいたい。

たぶん、僕はまだ寂しいのだ。

 


捨てたものは、必ずしもいらないものばかりではなかった。

高円寺は、なんだか大きなものを持って歩く人が多い。ギター、脚立、何に使うのやらよくわからない板。夢。

ぶつけないように、それらを捨てるときが来ないことを願うように、大切に抱えて歩く。すべてが春の光に包まれて、すべてが愛おしくなる。

 


この三年間の変動が大きかったぶん、今は比較的安定しているように思う。(一、二年目で貯まったお金は減っていく一方だけれど。)

 


死ぬのはこの街ではないと決めているけれど、酔いの果てで、北口ロータリーに寝そべって見る星はほんとうに美しかった。東京に光る星は一つだけで、よかった。もうどれだけの人が、この街に孤独を溶かしてきただろう。東京のへその当たりで、たぶん少し未練がましい僕たちは、もう少し息をするのだ。

僕がスピッツだったら

詩です。

 

 

 

 

僕がスピッツだったら

思い出をあてがわれて怒ってしまうだろう

 


僕はスピッツじゃないから

きみにしか分からないように歌う

 

 

きみにだけ分からないようにもできる

 


合言葉をつくろう

今日のことをすぐに思い出せる僕たちでいよう

 


サニーデイ・サービスが嫌い

サニーデイ・サービスを聴いているきみは好き

 


きみと話をしたい

伝えなくたって気持ちは気持ちだけれど

 


きみと話をしたい

許したいのなら怒って

 


言葉から逃げた先にも言葉がいる

きみがスピッツを聴いている

 

俳句12句『それなりの』

 

それなりの覚悟を持つて恵方巻

 

息白したつた一人の馬鹿のため

 

春のチャリ目的よりも重んじて

 

歩つてくとだけ送つて雪解水

 

愛溢るコーヒーメーカーに埃

 

別々の街で産まれて若葉風

 

青葉のせゐにして歌はない校歌

 

紫陽花の隣で泣いてゐた記憶

 

噛み締めるほどではなくて夏の味

 

生きてゆくために枯葉を踏む覚悟

 

その人を光と呼んで薄氷

 

春立つや好きを言葉にできること

 

恋人の話はせずに春の海

ライブハウスが嫌いだ

ライブハウスが嫌いだ。

ひとりぼっちで音楽を聴いているから。

 

 

ライブハウスが嫌いだ。

音量が大きすぎるから。

 


ライブハウスが嫌いだ。

知らない思い出が多すぎるから。

 


ライブハウスが嫌いだ。

考えなくていいことまで考え過ぎてしまうから。

 


ライブハウスが嫌いだ。

今なんてすぐに過ぎてしまうから。

 


ライブハウスが嫌いだ。

一人ではないような気がしてしまうから。

 


ライブハウスが嫌いだ。

閉ざされているから。

 


ライブハウスが嫌いだ。

僕たちは何も変えられやしないから。

 


ライブハウスが嫌いだ。

歌うことも音楽も、決して楽なことではないから。

 


ライブハウスが嫌いだ。

帰路で夜風が頬を撫でるから。

 


ライブハウスが嫌いだ。

きっとまた誰かに会いに行ってしまうから。

 

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ノンフィクション

外は撮影の準備で騒がしい。

まだシャッターの閉まった店の中で、僕はぴょんすこぴょんすこ踊っている。

 


誰も見ていないのをいいことに、仕事中にけっこう勝手なことをしている。お客さんがいればマスクの下で変顔をしてみたり、やがていなくなればそこそこの音量で歌を歌いながらクイックルワイパーをかけたりする。

 


職場の位置する商店街で映画の撮影があると聞いたのは、少し前のことだった。「なるべく邪魔にならないようにしますんで」と言われたので、気にも留めていなかった。

なんだか立ち止まっている人が多いな、と思い、向かいの店の前に大きなカメラが置いてあるのを見たとき、ああ、そうだった、と思った。

 


ちょっと○○持ってきて!誰もいないの!という声が響くのを聞きながら、もう思い出したくもない運動部のことをなぜか思い出して、少し頭が痛くなった。

思い出したくないと思っているから、ちょっとしたきっかけで思い出してしまうのだと思っていたが、どうやらそうではないようだ。

むしろ逆で、いつまで経ってもふいとしたことで思い出してしまうから、もう思い出したくないという思いがどんどん色濃くなっていくのだ。

自分とは関係がなくても、つらいものをつらいと思えることは、そんなに悪いことではないと思う。

 


店の前にマイクを持ってしゃがみ込む比較的若い男性に、ここちょっとラック出してもいいですか、すみません、と言いながら、どうして僕が謝らなくちゃいけないのだろうと思う。

謝らなくちゃいけない人なんてそう多くもないのに、僕たちは謝らなくてもいいようなことで謝ってばかりだ。むしろ、謝ることでお金をもらって飯を食っているように感じることも多い。

そのくせ本当に悪いことをしたときはなかなか謝れない。

 


何カットか撮っているようだ。よく通る声が何度も響く。その合間に、ちまちまとラックや什器を店の前に出して並べていく。カットが変わるたびに背景の店の店構えが変わっているのはどうなんだろう、と思う創作側の自分と、こっちも商売だ関係ないだろう、と思う店側の自分が、商店街という川の両岸で向かい合って立っていた。川はみるみる水位が上がり、今にも氾濫しそうであった。

「次の信号で止めまーす!」という声が聞こえれば、いそいそと店の奥へ引っ込む。商店街を通りたい住民たちはいったん動きを止められる。そうまでして撮りたいものは一体なんなのだろうと、純粋に疑問を持つ。

 


まず商店街の許可を得て、それからひとつひとつの店を回っては了承を得て、そうやってようやくひとつの映像を撮ろうとする彼らと、誰に許されたわけでもないが、隙を見てはマスクの下で変顔をする僕。ずるいのは圧倒的に僕のやっていることだが、これが何よりものリアルであって、ノンフィクションだ。

僕のノンフィクションが、商店街を通るひとりひとりのノンフィクションが、彼らの撮るフィクションを超える。そう僕は信じてやまない。だから表現をする。だから詩を書く。だから歌を歌う。自分で決めた台詞だけを喋る。僕の主人公は、まぎれもなく僕だ。

 


ようやく一通りの商品を出し終えた店の真ん中で、僕は仮面ライダーの変身ポーズをとって、店内の掃除を始めた。