星めぐり、ここは恒星
十八歳、初めて一人暮らしをするのに選んだ場所は、幼い時間を過ごした東京のはずれの街だった。
それから二年が経ち、僕は大好きなその街を出ていくことを決めた。
下のリンクが当時書いた文章である。この文章も、これを前置きとすると読みやすいかも。
https://hopeisnotyet.hatenablog.com/entry/2020/01/11/013931
さらにそこから一年が経ち、このごろの僕は、この三年間のことを思い返してばかりいる。
はじめはとにかく寂しくて、夜はことに酷かったので、遅くまで働いていないと気が持たなかった。東京のはずれから反対側のはずれまで通ったりしていたので、連日終電で帰ったり、間に合わなかったりした。
そうやって行ったり来たりするうちに、寂しさは擦れて丸くなっていった。決してなくなることはなかったけれど、抱えて歩きやすい形になったような気がして、そろそろ違う街に住んでみようかと考えるようになった。
そうして決めた二つ目の部屋は、期待が大きかった分、苦い思い出となって突き刺さることになる。
単刀直入に言ってしまえば、隣人が狂っていた。棚を組み立てれば壁を叩かれ、洗濯物を干せばベランダから怒鳴られた。怒鳴り声で乾かされた服に袖を通すたび、自分が小さく縮むような心地がした。
住めば都とはよく言われるが、それは設備や立地などの話だ。人間は、そう簡単に慣れることができない。そのぶん飽きることも忘れることも難しいけれど。
隣人と顔を合わせることもなく、歌い出すこともできないまま、僕はいそいそとハリボテのロケットに乗り込み、次の星へ移ることにした。
結局僕はこの一年で二回引越した。別れた人よりも出会った人のほうが多かった。でも初めに住んだあの街の、あの頃は独房と読んでいた、あの底冷えのする部屋が、一番好きだった。
大切な人には、あのとき既に出会っていた。これから大切になる人も、既に出会っている気がする。
僕は僕の身に起こったことしか書くことができない。だからいろんな街を歩いて、いろんなものを見なければならない。ここらで全く知らない街に住んでみるのも悪くないかもしれないと思い始めた。
でもまだもう少し、この街にいたい。
たぶん、僕はまだ寂しいのだ。
捨てたものは、必ずしもいらないものばかりではなかった。
高円寺は、なんだか大きなものを持って歩く人が多い。ギター、脚立、何に使うのやらよくわからない板。夢。
ぶつけないように、それらを捨てるときが来ないことを願うように、大切に抱えて歩く。すべてが春の光に包まれて、すべてが愛おしくなる。
この三年間の変動が大きかったぶん、今は比較的安定しているように思う。(一、二年目で貯まったお金は減っていく一方だけれど。)
死ぬのはこの街ではないと決めているけれど、酔いの果てで、北口ロータリーに寝そべって見る星はほんとうに美しかった。東京に光る星は一つだけで、よかった。もうどれだけの人が、この街に孤独を溶かしてきただろう。東京のへその当たりで、たぶん少し未練がましい僕たちは、もう少し息をするのだ。