たらすたらしめる

男運のすこぶる悪かった母親に、よく「おまえは人に恵まれているから」と皮肉混じりに言われた。

 

確かに周りの人に恵まれていると自分でも思う。クラスで一番体が小さかったぼくは、人見知りがひどいくせ、ひとりでは何もできなくて、周りの支えがなければ立つこともできなかっただろう。支えられながら歩くうちに少しずつ大きくなって、ぼくも成人を迎えた。

 

そうして今になって、周りの人に恵まれるのも実力のうちなのではないか、なんて思うようになった。

 

もちろん人と出会うことに関しては運もあるだろうが、その先は自分が決めて選ぶことである。ぼくは頭が良いとは到底思わない。だから最近になってようやく気が付いたけれど、そこに関しては能があったのだろう。母親の言葉を、呪いのように鵜呑みにする必要もなかったのではないかと思った。一方で、それがあったからこそ、今の自分があるのは周りの人のおかげだと思うこともできている。

 

感謝してもしきれないのは本当のことだが、それだけを信じていたら、いつか依存に変わってしまう。愛されて、それでも自分の足で立ちたいのだ。

 

人生が続く限り毎日が勉強である。二十歳になった今でも、新しい気付きのない日がないことが嬉しくて仕方がない。一人として同じ人はいないことに、ぼくは未成年のうちに気付けた。ぼくは頭が良くないから、大学に行っていたらそんな簡単なことにもきっと気付かなかった。

 

当面の目標は『わがままを通す』に決めた。ぼくは、自分に対してはものすごく頑固でわがままだけれど、それを人に求めることができない。それが優しさでないことは、未成年のうちにわかっている。守るべき常識と、破りたい常識がある。守り方がわかっているから、わがままを通す勇気を手に入れたら、ぼくはどこへだって行けると思っている。

 

占いのおじさんに、今年は乱気流の年になると言われた。今年のぼくには、ものすごくいい事もものすごく悪い事も起こるらしい。色んな人に出会うということだろう。いい人にも、いい人に見える人にも。そうして今より何歩か進んだ先で、今周りにいる人の存在にも気付くのだろう。今はそれが楽しみで仕方がないのだ。だって全員面白いもん。

 

人たらしだとか八方美人だとかよく言われるけれど、それを恥じたことはない。周りの存在が、ぼくをぼくたらしめる。周りの大好きな人たちを自分の目で見て、自分なりに考えて、その先のぼくが出来上がる。

 

ぼくは、ぼくの愛すべき人生に関わった全ての人とぼく自身との子供のようなものだ。愛せないわけがない。会話にはどうしてもテンポが伴うからまだ少し苦手意識があるけれど、昔と違って、ぼくの胸は拓けている。不器用な生き方でも、嫌いなものより好きなものの方が多いことを、ぼくは誇りと呼びたい。

 

お母さん、あなたのもとを離れて、自分の稼いだお金で生活していて、今では家事も一通りできるようになりましたが、誇りだと感じるのは、人に恵まれているということです。ぼくは本当の父親の顔も知らないけれど、お母さんの子として生まれたところから、愛される才能でした。どこへ行っても愛されて立っているのが、ちょっと照れくさい一方で、自分らしいんだなと思います。それでも孤独な夜はたくさんあります。そういう夜を数えながら、ふとお母さんに会いたいなと思います。あなたにも、いつかそんな夜があったのだろうという気がするから。