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外出がままならず楽器屋にも行けない。1弦の切れたままのギターで、壁の薄い1Kで隣人に怯え、それでも歌うことをやめられない。そんなとき僕はどこまでも1人ぼっちで、1等賞だ。

 


令和2年2月。ぼくは慣れ親しんだ街から、憧れていた街へ引っ越した。ひとりで暮らす2つめの部屋。歩いて行ける駅は2つ。住んでみれば街は小さい。荷物を置けば部屋は小さい。どこを片付けて空間を作ろうか。どこから広げていこうか。そう思った矢先に緊急事態宣言。

 


手放しても僕のままでいられるものはなんだろうか。電車に乗るのをやめてみた。仕事に行くのをやめてみた。ネットを開けば、いろんな人が色とりどりに呆れていた。毎日ベランダから空を眺めていた。

 


自由に外に出られなくなって気付いたことがたくさんある。僕は自他ともに認めるインドア派だが、いざ出るなと言われると外に出たくなってくる。外に出ないのは苦しくないが、外に出られないのは苦しい。いつだって僕が選択していたい。インドアは、単に消極的ということではない。

 


肉体で北上できなくなったから、想像の中で旅をする。銀河鉄道のレールはひらかれている。本当の意味ではアウトドア派なのかもしれない。帰るべき故郷は、自分で決める。

 


仕事に行くようになった。電車に乗るようになった。街へ出れば、人の笑う顔がよく目に付いた。毎日喫煙所から空を眺めている。

 


そうこうする間に6月。過ぎる季節を惜しみながら、その一方で給料日を待つ。プライドを手放すだけの自信がほしい。『他人の言葉に左右されてはいけない』という言葉に左右された。焦らずに生き急げ。素直に逆方向に進むな。本当のことは、いつだって一つでは言い表せない。

短歌8首『かっこいい大人』

 

生活に必要のない物を売る 命もひとつの持ち物である

 


僕たちが野垂れ死ぬ頃には歌も意味を持たなくなるのだろうか

 


濡れちゃいけないものだけをしまったらあとは雨音で踊る僕らだ

 


大きめの服を着るのが楽しくてかっこいい大人もたくさん見た

 


いらないものをいらないと言う前にまずは本気で遊んでみろよ

 


人の目でわかる全ての色がありこの目で好きな色を見つける

 


吹きすぎる風に困っていたい 働くのならば季節がわかるところで

 


ほつれから吹き抜ける風 いつまでもこういうものを売って生きたい

まるとし

 

遅ればせながら、練馬のとんかつ屋さんのあまりにも悲痛な事件を知った。眠気で頭が痛かったから、少し寝るつもりで昼休みに家に帰った矢先の出来事だった。一睡もできるはずがなかった。結局頭が痛いまま職場に戻った。

 


【以下ネットニュースより引用】

『4月30日夜、東京都練馬区とんかつ店で火災があり、店主の男性(54)が全身やけどで死亡した。男性は東京オリンピック聖火ランナーに選ばれていた。新型コロナウイルスの感染拡大で大会は延期されたうえ、店も営業縮小に追い込まれ、先行きを悲観するような言葉を周囲に漏らしていた。遺体にはとんかつ油を浴びたような形跡があり、警視庁光が丘署は出火の経緯を慎重に調べている。』

https://mainichi.jp/articles/20200502/k00/00m/040/003000c

 


練馬区北町、商店街の一角にある「とんかつ まるとし」。僕はこの店が大好きだった。小学校の職業体験でもお世話になった。当日より前に子供だけで何度かあいさつに行くたびに、内緒だよと言ってお菓子をたくさん持たせてくれた。自分で揚げたとんかつをパックに入れて持たせてくれて、家族で少しずつ分けて食べたのをよく覚えている。友達なんかが遊びに来ると、必ずこの店好きなんだ!と言って紹介したものだった。我が家の布団の上で一番大きくて一番優しい顔の豚の抱き枕、彼女の名前は「まるとし」である。

 

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焼身自殺ではないかと言われているらしい。知ったのは昼間だったが、未だに震えが止まらない。やるせない。もっと行っておけばよかった。コロナなんてどうでもよくて、ただ僕たち人間が不甲斐ないだけなんだ。コロナはそれを浮き彫りにしたきっかけにすぎない。

 


好きなお店には行ける時にたくさん行った方がいい。好きなものを好きだと言って、好きな人に好きだと言って生きていかなければならない。人にものを伝えるのが苦手だとか言ってる場合じゃない。

 


ずっとあの商店街にあり続けると思っていた。少なくとも、あんな終わり方をするとは思っていなかった。僕たちはまだ若い。今あるものの多くは、僕たちよりも先になくなっていくだろう。生きてゆくということは、時に消えゆくものを目の当たりにしなければならないということを、僕はすぐに忘れてしまう。というか実感を持って知らないのだろう。心に留めて生きるには、まだ経験が少なすぎる。終わりたくないから生きている僕たちに見せつけられる数々の終わりは、全てが悲しい一方で、どこか美しい。そうとでも思っていないと、やっていられない。でも、それでも、死んだらどうにもならないだろうが。

 


もう人が死ぬのを見たくない。でも、その為なら死んでもいいとは思わない。僕が思うのと同じように、僕が死ぬのを見たくないと思う人がいるほどには、僕は生きてしまっているから。僕が死ぬのは、僕がそう決めたときだ。どうか全員生きて、死に方は自分で決めようぜ。

 


ぬるい風が吹いていた。あの街で暮らした幼い日々が思い出される。小学校を卒業して一度は街を離れたが、六年後、初めての一人暮らしはあの街を選んだ。あの街も少しずつ変わっていったが、思い出が変わってしまうことはなく、むしろ色濃くなっていった。僕たちの長かった夏は夏のまま、鮮やかに色褪せていった。

 


それでも僕はきっとまたあの街に住むのだろう。今日、そんな気がした。起こってしまったことを悔やむのはその日一日だけで十分だ。明日からの僕はまた強くなっているはずだ。変わることを恐れてはならない。変わらず変わり続ける世界で、ゆらゆらしながらしっかりと立って歩いていきたい。

あぽぺん

とにもかくにもこの世にはペンが多すぎる。LOFTの文房具売り場は、文房具の体積に対して広すぎないか。書くことが生活に占める割合は大きいと思うが、だからこそ文房具売り場はシンプルで良い。カラーペンはともかくとして、ボールペンはジェットストリームの0.4ミリ、シャープペンはカラーフライトの0.3ミリだけで充分だ。種類が多すぎるから、錯乱して林檎に突き刺す人が出てくるんだ。

 


それから、無駄にいかついシャープペンが許せない。そんなに武装したって、芯なんて出し過ぎたぐらいですぐに折れてしまうじゃないか。

 


冗談と極度に個人的な意見はここまでにしておくけれど、書き続けるのなら、荷物は軽いほうがいい。折りたたんで、ポケットに入れておけるような言葉がひとつあればいい。だから僕は短歌や俳句が好きだ。

 


硬い芯ほど筆跡は薄い。小学校では2Bを使うように言われたが、僕はBよりHの鉛筆が好きだった。扱いにくくて、簡単には折れないところが好きだった。僕は影が薄いほうで、それでも胸の内は頑固で、正直厄介な部類だったと思う。でも、その厄介さを気に入ったのか、そばにいてくれる物好きな人が意外といたから、それでよかったと思っている。そういう人たちは離れないでいてくれた。薄くて消しにくい筆跡を残し続けてこれからも僕は生きる。誰も見ていないこのブログに心を書き連ねる。

 


鉛筆でたくさん書いたあとの芯の丸さと手の黒さだけが本物だ。B5の学習帳に文字を書きながら、この鉛筆でただ直線を書いたら、一本使い切るまでにどこまで行けるのだろうと何度も考えていた。でも、鉛筆なんて大抵は最後まで使いきれなかった。使いきれずに残った、短い鉛筆の集まりでできたような今の僕だ。B5のノート一冊が終わるまでに、僕はどれだけ成長できていたのだろう。分からないままに書き続ける。最初のページはやけに丁寧で、そこからだんだん雑になっていくけれど、最後のページに収まりきらず、裏表紙まで渡った文字たちが本当のその人らしさだ。僕は二十歳、なんだかんだでまだ綺麗だと思っている。来週には桜が咲くらしい。ノート一冊とペン一本だけ持って、絵のような春を、絵のような笑顔で迎えに行けたらいいなぁ。

父さんみたいになりたかった

血の繋がらない父と、初めて出会ったのは小学校三年生の時だった。

 

父は、「気にしない気にしない」と「まあいっか」が口癖で、明るく快活な、人によく好かれる人だ。ぼくは、自分の気持ちをうまく話せず、引っ込み思案で、おまけにずっと一人っ子だったのも重なり一人で考え込んでしまう子供だったから、最初はただ羨ましかった。

 

ぼくはまるで息子みたいに、彼のあとをついて歩くように生きてきた。歳が一回りしか違わないのもあるかもしれないが、父が若い頃に聴いていたというバンドは大概ぼくも好きだった。父と同じ会社でアルバイトもした。「気にしない気にしない」「まあいっか」と思えるようになりたかったから意識的にそう言ったし、ポジティブ思考になろうとした。歳の離れた妹は父と母との間の子なのだが、家族内で何かと意見が割れるときは、大抵ぼくと父、妹と母で分かれることが多かった。

 

でもぼくは父のようにはなれないことにも薄々気付いていた。どうしたっていちいち考え込んでしまうし、要領は悪いし、人と目を合わせたり話すことへの苦手意識がなくなることもなかった。

 

父は、「男の子がいたらまた楽しいだろうな」「うちは二人とも娘だからな」とよく笑いながら言った。ぼくは笑えなかった。ぼくは男になりたかった。ぼくは髪を切った。男になりたいわけではなかった。ぼくはただぼくを分かってほしかった。

 

父の仕事は、傍から見ても天職なのだろうなと思う。自分でも「俺はこの仕事しかできないから」としばしば笑う。

 

ぼくと父の共通の知り合いである会社の人と三人で飲みに行ったことがある。当然仕事の話にもなる。父は、娘がいる前で言うのもあれだけど、と前置きして、「今は家に帰れば家族がいるから怖いものはない。守るものがあるならいくらだって頭なんか下げてやるって思って仕事してるよ」と言った。そんなこと、母や妹がいる前では絶対に言わないだろうと思った。ぼくは父の特別になれているのだろうか。

 

最近父は、母に内緒で会社の人と飲みに行っただとか、どちらかというと神経質なタイプの母や妹に困っているだとか、そういうことをぼくと二人のときに話してくる。なんだか息子みたいだとぼくは笑う。しかし満更でもないのだ。息子になりたかったわけではない。ただ父みたいな人になりたかった。

 

でも高校まで出て、仕事をするようになって、ぼくにも分かるようになってきた。ぼくと父は違う。血の繋がりは関係ないとしても、生きてきた環境だって、触れてきたものだって違う。だから、ぼくはぼくとしての真骨頂をめざそうと思う。ぼくに将来子供ができるかは分からないけれど、もしそうなった時に、彼らが誇れるような大人になりたい。何より、ぼく自身が胸を張って生きていけるようになりたい。ぼくは父のようにはなれない。父もぼくのようにはなれない。ただ少し似通っていて、まったく違っただけだ。今までぼくはただ父のあとを追いかけてきたけれど、そこから分かれて、これからは別の道を歩いていくのだろう。

 

父のいる会社のアルバイトは辞めた。ぼくの所属していた店舗が潰れたのがきっかけだったが、きっと今が辞めどきなんだ、親離れするときなんだと思い、異動はしなかった。

 

高校卒業とともに家を出て、一人暮らしはしていたけれど、新しく始めたアルバイトはどれも上手くいかなかった。何をしても、虚しくて寂しかった。火事の夢を見た。目が覚めたときの六畳の涼しさが今も忘れられない。ずっとやりたかったアルバイトも、すぐ嫌な理由が見つかってしまって、一ヶ月で辞めた。面接だけ行ってそのまま採用を断ってしまうことも何度もあった。辞めずにいられたのは、高校生のときから続けていた、父と同じ会社のアルバイトだけだった。

 

ぼくはこれから本当のぼくを見つけていくのだと思う。まだ見つけられていないし、その兆しも見えない。どちらが前なのかすら分からない。前だと思った方に必死をこいて進むだけだ。それでどこへ辿り着いても、仮に元いた場所に戻ってしまったとしても、父はぼくの歩いた道のりを認めてくれるのだろう。何も考えていないような素振りで、父は全部分かっている。

 

ねえ、ぼくたちこんな話したこと一度もないよね。でもぼくはあなたの考えていることはよく分かっているつもりでいるし、あなたの考え方が大好きだ。ぼくはぼくなりに大人になっているつもりだけど、まだまだ子供だって思ってるでしょ。まだ二人で飲みに行ったことはないけど、一緒にお酒を飲むようになったらまた変わるのかな。

 

血が繋がっていなくても、今を生きるぼくたちの血液はそれぞれに美しい。気にしない気にしない。ぼくは頑張らなくてよくなるように頑張るよ。

短歌12首『鈍行』

生活に必要のないものを売る 命もひとつの持ち物である

 


花の名がわからなくとも戦った痛みを覚えている 歌人

 


笑うのがうまくなるほど笑うのがかなしくなってうるさい駅だ

 


からっぽだ ペヤングで膨れた腹と十円玉で膨れた財布

 


星を見る 時にぼくらは両の目があることを忘れてしまうから

 


思い出は他にいくらでもあるのと高層ビルの一つを眺む

 


あの中に生きていたのだ 遠くから見れば同じに見える新宿

 


気付いてることに気付かなければいいそして静かに増えるライター

 


これからの話をしよう二十七までに死ねなかった僕たちの

 


悲しみはいつか途絶える悲しみはいつか途絶えてしまうからだめ

 


捨てるには遅くて拾うには速い 生きるとはどこまでも鈍行

 


愛すべて使い果たしてその先の僕は短歌でロックをやるよ

正義を定義することは正義ではないぞ

現実に打ちひしがれて、それでも夢を見ようとするのが本当の夢見がちだ。

どうにかなるさじゃどうにもならないから、じゃあ僕はどうすんのって考えるのが本当の前向きだ。

汚れた心に気付き恥じることが本当の純粋さだ。


敵や味方という概念こそが敵だ。

物事の善悪を決めてしまうことが唯一の悪だ。


自分のことを変わっていると言う人は、変わった人ではなく、変えられない人だ。

本当に影が薄い人は、影が薄いことに気付かれることはなく、自分でも気付かないまま、他の人に紛れて生きている。


何も言わない人ほど何か考えている。


あなたの正しさは、あなただけのものだ。