ピンクのチーク

放っていて少し伸びすぎた髪を無理くり束ねて、パーカーを羽織る。引越して間もない部屋のドアを開ける。環七に出た僕のすっぴんの頬を撫でてゆく風は、まだ冷たいながらも春めいていた。

 

コンビニの棚はピンクに染まっていて、期間限定のさくら味とか、やたらと春の押し売りをしてくる。僕はというと、青いパンツに黒いパーカー、青いジャケットを重ねて、髪色はなんだかよくわからない水色。頭頂部は地毛が目立ってきていて、プリンと言うにも不味そうだし、パーカーの下にはヒートテックを着ている。僕はすっかり街に置いてけぼりを食らっていた。

 

後になって思い返せば、街は螺旋階段を登るように、冬のような日と春のような日を繰り返しながら、僕たちを乗せて確実に春へと向かっていた。それでも僕はそれに上手く乗ることができず、ゆったりとした暖かい日に焦燥感を抱き、鋭くまっすぐにしばれる日に安心を覚えるのはどうしてなのだろう。

 

感傷だろうな。よくない癖だ。蛙はふりかえらないとか言っておきながら、僕は振り返ってばかりだ。振り返るのが悪い事とも思わないが、今は走り続けていたいのだ。それでも暖かいものを求めてしまうのは、恒温動物の宿命だろうか。うーん、早く蛙になりたい。帰れる場所があるということも、時に人を孤独にする。

二十歳になった今でも僕はすっぴんで街を歩く。億劫でないといえば嘘になるが、それ以上に、化粧をしない、つまりは取り繕わないのが僕だと信じてきたからだ。

 

でも、最近はメイクのこともちゃんと勉強したいと思うようになった。もしかしたら、化粧をしても僕は僕かもしれない。それはほとんど化粧をしたことのない僕がいくら考えても、答えが出るはずがなかった。やった上で、やらない選択をしたいと思う。春を知って冬を選びたいのだ。

 

洟水が出なくても、どこか春が憂鬱になってしまう僕がいて、それも一種の花粉症なのかもしれないな。僕が街の温度に追いついたら、色白の頬にピンクのチークを乗せて、ふわふわ笑いたい。

 

ピンク色やさくら味自体はわりと好きだ。ただ、散々街を彩っておいて、僕がやっと街に追いついたときには街からいなくなっているところが嫌いなのだ。

 

季節によって表情を変えても、青空はいつだって青空だ。だから僕は青が好きなのかもしれない。表情豊かで、ぶれない人になりたい。春めいた透明な空が僕を見張っている。

たらすたらしめる

男運のすこぶる悪かった母親に、よく「おまえは人に恵まれているから」と皮肉混じりに言われた。

 

確かに周りの人に恵まれていると自分でも思う。クラスで一番体が小さかったぼくは、人見知りがひどいくせ、ひとりでは何もできなくて、周りの支えがなければ立つこともできなかっただろう。支えられながら歩くうちに少しずつ大きくなって、ぼくも成人を迎えた。

 

そうして今になって、周りの人に恵まれるのも実力のうちなのではないか、なんて思うようになった。

 

もちろん人と出会うことに関しては運もあるだろうが、その先は自分が決めて選ぶことである。ぼくは頭が良いとは到底思わない。だから最近になってようやく気が付いたけれど、そこに関しては能があったのだろう。母親の言葉を、呪いのように鵜呑みにする必要もなかったのではないかと思った。一方で、それがあったからこそ、今の自分があるのは周りの人のおかげだと思うこともできている。

 

感謝してもしきれないのは本当のことだが、それだけを信じていたら、いつか依存に変わってしまう。愛されて、それでも自分の足で立ちたいのだ。

 

人生が続く限り毎日が勉強である。二十歳になった今でも、新しい気付きのない日がないことが嬉しくて仕方がない。一人として同じ人はいないことに、ぼくは未成年のうちに気付けた。ぼくは頭が良くないから、大学に行っていたらそんな簡単なことにもきっと気付かなかった。

 

当面の目標は『わがままを通す』に決めた。ぼくは、自分に対してはものすごく頑固でわがままだけれど、それを人に求めることができない。それが優しさでないことは、未成年のうちにわかっている。守るべき常識と、破りたい常識がある。守り方がわかっているから、わがままを通す勇気を手に入れたら、ぼくはどこへだって行けると思っている。

 

占いのおじさんに、今年は乱気流の年になると言われた。今年のぼくには、ものすごくいい事もものすごく悪い事も起こるらしい。色んな人に出会うということだろう。いい人にも、いい人に見える人にも。そうして今より何歩か進んだ先で、今周りにいる人の存在にも気付くのだろう。今はそれが楽しみで仕方がないのだ。だって全員面白いもん。

 

人たらしだとか八方美人だとかよく言われるけれど、それを恥じたことはない。周りの存在が、ぼくをぼくたらしめる。周りの大好きな人たちを自分の目で見て、自分なりに考えて、その先のぼくが出来上がる。

 

ぼくは、ぼくの愛すべき人生に関わった全ての人とぼく自身との子供のようなものだ。愛せないわけがない。会話にはどうしてもテンポが伴うからまだ少し苦手意識があるけれど、昔と違って、ぼくの胸は拓けている。不器用な生き方でも、嫌いなものより好きなものの方が多いことを、ぼくは誇りと呼びたい。

 

お母さん、あなたのもとを離れて、自分の稼いだお金で生活していて、今では家事も一通りできるようになりましたが、誇りだと感じるのは、人に恵まれているということです。ぼくは本当の父親の顔も知らないけれど、お母さんの子として生まれたところから、愛される才能でした。どこへ行っても愛されて立っているのが、ちょっと照れくさい一方で、自分らしいんだなと思います。それでも孤独な夜はたくさんあります。そういう夜を数えながら、ふとお母さんに会いたいなと思います。あなたにも、いつかそんな夜があったのだろうという気がするから。

でかいカツカレーは頭痛が痛いと同義

よくわからないもの。例えばカツカレー。幼少期のぼくは、カツカレーという存在がよく分からなかった。昔からぼくは揚げ物が好きだ。特にコロッケ。もちろんカツも大好物だ。カレーライスも大好きだ。これから一生同じものを食べ続けなければならないとなったら、ぼくはカレーを選ぶと思う。しかしその好きなものふたつが一つになることで、ぼくの理解の範疇を超えてしまうのだ。カツが最高値。カレーも最高値。無量大数×無量大数のようなものだ。つまり贅沢さがカンストしてしまうのである。茶色と白の二色で構成された食べ物一皿で、人間一人の脳みそなんて簡単にバグってしまう。カツカレーという概念だけででかすぎる。本当に合法なのか疑ってしまう。普通に食べられるようにはなったが、そんなカツカレーが、未だにぼくはよくわからない。


よくわからないもの。例えば自分。高校の頃、一週間に一度は俳句を一句書いて提出しろという課題が出されていた。ぼくはほとんど出さなかった。いくら点数を引かれても、たまに出す句が爆弾だと言われても、ぼくは出さないことをやめなかった。そんなぼくが今こうして言葉を書いている。自分から。ぼくたちに課題を出していた教師は、今では酒を飲む仲だ。ぼくたちは戦いを終えたのだ。頑なに出そうとしないぼくと、センスのある生徒をどうにかして引っこ抜いて俳句甲子園に出そうとする国語教師。言葉という土俵の上で、ぼくたちは言葉のない戦いを続けていた。ぼくは結局、高校三年生で一度だけ俳句甲子園に出た。

ものを作るのは大好きだったが、やれと言われてやる創作が大嫌いだった。保育園や学童や学校の休み時間、みんなが外に出て遊ぶ中、ひとりで部屋で絵を描く時間が好きだった。美術の成績はよい方だったが、ぼくはどこかで美術の授業に怯えていた。そんな自分が、未だによくわからない。


金髪になるなんて思わなかった。煙草を吸うようになるなんて思わなかった。フリーターになるなんて思わなかった。こんなに不器用だなんて思わなかった。こんなに真っ当に生きようとするなんて思わなかった。


それでいて、毎日が楽しくて仕方がないのだ。人生なんて未だに難しくてよくわからないけれど、悩みながら一つずつ選択して続いていく生活が、いつか道になる日が来ると思うと、楽しみでたまらなくなる。ぼくにとって、人生とカツカレーのでかさは似ている。人生が合法なら、まあカツカレーだって合法なんだろうな。他人事のように思ってしまうぼくは、限りなく小さな存在だ。こんなに小さいのだから、独り占めしていていいよね。


ぼくたちは、いつだって草のないところを道と呼んできた。いつだって空を見上げていたいから、ぼくは初めて空を飛んだ人のようにはなれないだろうけど、地を這って道を作ることはできるかもしれない。

引越しひとつに何苦労もした。これから郵便局に行くのも億劫だし、大人になってもわからないことのほうが多くて途方に暮れてしまう。未だによくわからないことは、多分これからもよくわからないままだろう。それでもぼくは、短い命を精一杯に使おうとする。いつか夏が来ることを知っている。そういうことを不意に思う冬の日がぼくは好きなんだ。

放浪人

 

終わってたまるか。終わってたまるか。

そんな歌詞の流れるイヤホンを耳に突っ込んで、二月の国道を一人、自転車を押して歩いてきた。


終わってたまるか。終わってたまるか。

マフラーの中で呟きながら、確実に一歩ずつ前へ進む。向かい風が強くて、自転車に乗れたものではないのだ。さながら大きな荷物を転がして悪路を進む放浪人である。


今日は面白いほど上手くいかないことが多かった。


ちょうどいい時間に目が覚めたものの、寒さに布団から出られず、「五分ぐらいならくるまっていられるな」と思った次の瞬間には、家を出る時間を15分過ぎていた。電光石火のスピードで着替えながら、駅までの道を自転車で行って、職場の最寄りからダッシュすればぎりぎり間に合うかもしれないと考える。思えばそれが全ての始まりだったのかもしれない。


こういうときにいつも使っていた安い駐輪場は、馬鹿みたいにでかい工事現場になっていた。煽られてるな、と思った。仕方ないので、駅を通り過ぎて、ゆっくり歩くおばちゃんに阻まれながら別の小さな駐輪場へ向かう。近くの銀行を利用する人を想定した駐輪場で、昼間は40分で100円取られる。まあ、置けるだけいいか。自転車を停めて駅への道を戻ろうとする頃には、乗りたかった電車の発車時刻になっていた。


バイトは暇だった。ほとんど記憶がない。何をしたか覚えていないという事実から、何もしていなかったのだろうという推測をする。やらなかったことって、だいたい覚えてないからね。だから後悔にもならない。それが一番恐ろしいことなのだけれど。後悔になるのはやるかやらないか迷ってやらなかったことだ。だから迷ったらやる。バイトが終わったら新宿に映画を見に行くことに決めた。


山手線で新宿へ向かおうとして乗り過ごした。映画は開始一分もしないうちに一回中断された。地下鉄で帰ろうとして、新宿三丁目に行くだけで二回乗り過ごした。新宿と新宿御苑前を一往復した。


やっとの思いで地元に降り立ち、駐輪場の料金を払おうとする。700円。高い。しかしあまりの寒さの前にそんなことはもはやどうでもよかった。早く帰ろう。


財布には五千円札と五十円玉が一枚。精算機は千円札しか使えない。


うわああああ。


千円札を作らなければならない。そういえば、粗大ゴミ処理券を買わなきゃいけないんだった。駅前にライフがあるからちょうどいいや。


寒すぎてライフが遠いいいいい。


朝は慌てていて気付かなかったが、駐輪場から駅までは意外と距離があった。そりゃ間に合わないわ。


ライフ到着。室内の暖かさと疲労でぼくはすっかり液体になっていた。液体には時刻を確認している余裕はない。この頃にはとうに23時をまわっていて、粗大ゴミ処理券を扱うサービスカウンターが開いているはずもなかった。


うわああああ。


ぼくはすっかりがらがらの食品フロアで、ピザポテトとカップ焼きそばを買った。やけくそだった。


お腹減ったなぁ、駐輪場遠いなぁ、700円って高いなぁ。

ゆっくり歩くから、余計に遠い。朝の電光石火が懐かしい。


そして冒頭に戻る。


映画がよかったことだけが救いだった。そしてそれはぼくがどうしようもない一日をちゃんと終えられた紛れもない証拠で、自転車を押す手が千切れるように冷えても、悪い気分ではなかった。


そんなこんなで、日付が変わろうとしている時間にようやく家に着いた。メールボックスには、同じ水道工事のマグネットが三枚入っていて、思わず笑ってしまった。そんなに流れが悪そうに見えるかよ。まぁ、今日のぼくを見たら、人生下手そうにも見えるよな。買ってきたピザポテトは今から食べる。水道が止まっても、ぼくの自由は誰にも止めさせない。f:id:hopeisnotyet:20200206012636j:image

ぎりぎりアウト

午前3時。

これから外へ出なければならない人も、これから眠るのだという人も、根底では仲間なのだと思う。仲間という言葉を作った人たちはまだ、もう、眠っている。敵を作るから味方ができる。


2月3日、節分。僕もはたちになりました。

せめて日付が変わる前にとぎりぎりでシャワーを浴び始め、髪を乾かし始めたところで日付が変わった。そういう所は、たぶんこれからも変わらないんだろうなと思う。ぎりぎりセーフでぎりぎりアウトの命を燃やしている。


髪を乾かしてすぐに、近くのローソンに酒と煙草を買いに行った。年確をされたら、「さっきはたちになったんです」と言って保険証を出すつもりでいた。誰にでも祝って欲しかった。無愛想なレジのお兄さんは年確することもなく、ぶっきらぼうに会計は終わった。ドラマはそう簡単には起きなかったけれど、悪い気分ではなくて、僕はなんだか少しほっとしていた。そうだ、僕は東京に暮らしていたのだった。下り坂の向こうに遠く見えるスカイツリーは変わらずぎゅんぎゅん光っていて、僕はそれに向かって、初めて自分で自分のためだけに買った缶チューハイを思い切り飲んだ。きんきんの夜風にきんきんの液体が沁みるようで、体に悪そうだなと思った。悪くないなと思った。僕は自分が夏生まれだったらと思ったことは一度もない。


初めてのはたちだ。

これまでの人生も長かったなと思いながら、未だに初めてのことばかり起こる日々にわくわくしている。二十歳の僕はどんな人に出会うのだろう。今日まで忘れられなかった人も忘れる時が来るのかな。僕が誰かに忘れられてしまう日も、きっと忘れてしまうほどにたくさんあるのだろう。忘れた数は覚えていた数だ。そしてその数は、大した問題ではない。本当は、完全に忘れてしまうことなどない。僕たちは、忘れたことを覚えているのだ。忘れていないから忘れたと思うのだ。忘れるためにアルコールを飲んだことを明日には忘れる。忘れたかったことを明日には思い出す。それを繰り返して、千鳥足でふらふら前に進む。どうか今よりも大人になった僕が「最初からいなかったことになりたい」と思う夜が、今よりも少なくあるようにと願って、まだ眠れそうにないこの夜を終わらせる準備を始めよう。

起きるための眠り、歌のためのラブ

歌人に夜行性はいないというのは偏見だろうか。


すっかり夜型になってしまった。

この文章を書きはじめたのも午前2時半だ。一周まわって超朝型ということにしておこうかな。

体罰まみれの運動部だった頃は、朝練に行くのが辛すぎて毎朝5時に起きていた。誰も起きていないのでリビングは寒いし、することは朝ごはんを作るぐらいしかなかったけれど。

そんな僕も、運動部を引退して、高校ではやりたくて入ったはずの部活からフェードアウトして、言葉を書くようになる頃には、夜型人間になっていた。朝から学校に行くことはもう半分諦めていた。


夜が朝とちゃんと繋がっていることをぼくは知らなかった。人間として夜は眠ったほうがいいと思う一方で、夜と朝の繋ぎ目の美しさは、人間として知っておかなければならないだろう。


夜型は夜型の歌を歌う。寝坊して遅刻してでも、歌わなければいけない歌がある。「明日の朝も早いから」と言って、翌朝には忘れてしまった言葉がいくつあっただろう。本当に後悔するのはどっちだろう。起きないといけないのに眠るのか、起きないといけないから眠るのか。そもそも起きるための眠りってなんなんだ。


とりあえずアラームで起きられるように、眠りが浅くなるように、今日もうつ伏せで眠る。とりあえずで延びていく日々の中に、目の覚めるような楽しいことを見つけて生きていこうね。


書きたいことはもっといっぱいあったけど、さすがに二日連続寝坊で遅刻はまずい。

まっぱの心

冬が好きだ。

 

冬生まれだが、寒いのは得意ではない。寒いと何も考えられないし、何をする気も起きない。そもそも布団から出られない。脳みそも凍るのだと思う。いっぱい着ないと動けないし、いっぱい着ると動きづらい。生活のしやすさで言えば、夏の方が断然上だ。みんな夏の方が好きだと言う。それなのにこんなにも愛おしい。不便さの向こうは透き通っている。生活に支障をきたしても、ぼくは冬が愛おしくてたまらない。なんもしない季節。

 

東北が好きだ。

 

何もない。何もないすらあるのか怪しい。寒い。方言もかわいくないと言われがち。それなのにこんなにも愛おしい。生まれ故郷というわけでもないのに、ぼくは東北が愛おしくてたまらない。北にはなんもないけど、好きなものはだいたい北にある。好きな作家やバンド、アイドル、恋人に至るまで、ぼくの好きになる人は東北出身者が多い。でも、それを抜きにしても、おそらくぼくは東北が好きだ。何もないところが大好きだ。みんながみんな、「どこにも行けないんだ」とでも思っていそうな、鬱屈として、栄える過程をすっ飛ばして退廃的なところがたまらなく好きだ。それなのに、空気は限りなく透明だし、景色は突き抜けるように美しい。いっそ地域おこしなんかしないで、このまま廃れてしまえばどれだけ美しいだろうと思う。歪んだ愛で、ぼくは東北のアンテナショップのアルバイトを辞めたことがある。

 

東北から東京に憧れる人からしたらそんな美しさが癇に障るだろうし、飽き飽きするだろうし、嫌で仕方ないだろうが、ぼくはそれが羨ましい。文字通り皮肉にも、東京人のぼくはそういう皮肉が大好きなのだ。

 

ぼくたちはどこへも行けない。ぼくは東京で暮らしているけれど、自由だと思ったことは一度もない。便利で窮屈な世の中だ。

 

ぼくには故郷と呼べる場所がない。埼玉で生まれてから、東京と埼玉を行ったり来たりして育った。行くあてのないぼくたちは、故郷を自分で作るしかないのだ。

 

東京にも、少し積もるくらいの雪が降った。雪のない街に生まれた宿命か、喜んで文章にまでしてしまう自分がなんだか少し悔しいが、まあ仕方がない。

 

全開の窓にまっぱの心を曝して「雪だ」とさわぐ。そうだよ雪のことだよ。

他人の短歌はどうも素直に好きになれないな。

有名になるにはまだまだ時間がかかりそうだ。

 

東京に生まれちまったからには、たくさん笑って、雪が嬉しいままで死にたい。どうか、綺麗とは言えない雑踏の中に、綺麗なものをたくさん見て生きていけますように。