まるとし

 

遅ればせながら、練馬のとんかつ屋さんのあまりにも悲痛な事件を知った。眠気で頭が痛かったから、少し寝るつもりで昼休みに家に帰った矢先の出来事だった。一睡もできるはずがなかった。結局頭が痛いまま職場に戻った。

 


【以下ネットニュースより引用】

『4月30日夜、東京都練馬区とんかつ店で火災があり、店主の男性(54)が全身やけどで死亡した。男性は東京オリンピック聖火ランナーに選ばれていた。新型コロナウイルスの感染拡大で大会は延期されたうえ、店も営業縮小に追い込まれ、先行きを悲観するような言葉を周囲に漏らしていた。遺体にはとんかつ油を浴びたような形跡があり、警視庁光が丘署は出火の経緯を慎重に調べている。』

https://mainichi.jp/articles/20200502/k00/00m/040/003000c

 


練馬区北町、商店街の一角にある「とんかつ まるとし」。僕はこの店が大好きだった。小学校の職業体験でもお世話になった。当日より前に子供だけで何度かあいさつに行くたびに、内緒だよと言ってお菓子をたくさん持たせてくれた。自分で揚げたとんかつをパックに入れて持たせてくれて、家族で少しずつ分けて食べたのをよく覚えている。友達なんかが遊びに来ると、必ずこの店好きなんだ!と言って紹介したものだった。我が家の布団の上で一番大きくて一番優しい顔の豚の抱き枕、彼女の名前は「まるとし」である。

 

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焼身自殺ではないかと言われているらしい。知ったのは昼間だったが、未だに震えが止まらない。やるせない。もっと行っておけばよかった。コロナなんてどうでもよくて、ただ僕たち人間が不甲斐ないだけなんだ。コロナはそれを浮き彫りにしたきっかけにすぎない。

 


好きなお店には行ける時にたくさん行った方がいい。好きなものを好きだと言って、好きな人に好きだと言って生きていかなければならない。人にものを伝えるのが苦手だとか言ってる場合じゃない。

 


ずっとあの商店街にあり続けると思っていた。少なくとも、あんな終わり方をするとは思っていなかった。僕たちはまだ若い。今あるものの多くは、僕たちよりも先になくなっていくだろう。生きてゆくということは、時に消えゆくものを目の当たりにしなければならないということを、僕はすぐに忘れてしまう。というか実感を持って知らないのだろう。心に留めて生きるには、まだ経験が少なすぎる。終わりたくないから生きている僕たちに見せつけられる数々の終わりは、全てが悲しい一方で、どこか美しい。そうとでも思っていないと、やっていられない。でも、それでも、死んだらどうにもならないだろうが。

 


もう人が死ぬのを見たくない。でも、その為なら死んでもいいとは思わない。僕が思うのと同じように、僕が死ぬのを見たくないと思う人がいるほどには、僕は生きてしまっているから。僕が死ぬのは、僕がそう決めたときだ。どうか全員生きて、死に方は自分で決めようぜ。

 


ぬるい風が吹いていた。あの街で暮らした幼い日々が思い出される。小学校を卒業して一度は街を離れたが、六年後、初めての一人暮らしはあの街を選んだ。あの街も少しずつ変わっていったが、思い出が変わってしまうことはなく、むしろ色濃くなっていった。僕たちの長かった夏は夏のまま、鮮やかに色褪せていった。

 


それでも僕はきっとまたあの街に住むのだろう。今日、そんな気がした。起こってしまったことを悔やむのはその日一日だけで十分だ。明日からの僕はまた強くなっているはずだ。変わることを恐れてはならない。変わらず変わり続ける世界で、ゆらゆらしながらしっかりと立って歩いていきたい。